第11回 畑の大家さんと、農ある暮らし
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私の畑には、四角く囲って花を育てているスペースがあります。早春一番に咲くのが、黄色く輝くヒメリュウキンカ。畑にはあまり植えない庭草ですが、冬枯れのなかで咲くその花が毎春の楽しみ。畑を借りて間もない頃に、農園の大家さんが分けてくれた花なのです。
私たちの畑の大家さんはプロの農家。農園の近くに暮らし、果物とお米、そして野菜を少し栽培しています。管理できない雑木林の一部を拓いて農園をつくり、水道設備も整えて貸し始め、私は一年目からの借り手でした。私たちの窓口になっているのは、小柄で笑顔のかわいいおばあさま。17年前、初めて貸し農園の契約を交わしたとき、大家さんはニコニコと尋ねました。
「野菜づくりは経験あるの?」
「いいえ、まったくありません!」
胸を張ってこたえた私に彼女はますます顔をほころばせ、こう励ましてくれました。
「そう。楽しんでね」
大家さんは栽培のプロなのに先輩面を一切しない人で、ド素人の私とも対等に話をしてくれました。
「最近は何を育てているの?」
「今年の夏野菜はうまくいった?」
「ダイコンがいっぱいとれたら、干しておくと保存がきくわよ」
会うたびに畑のことを尋ね、いつもこう聞くのです。
「楽しんでる?」
そのたび私は元気いっぱい「はい!おかげさまで!」とこたえてきました。
自分でも驚くほど家庭菜園にはまり、素人の畑で起こるドタバタをエッセイにして雑誌で連載し始めたのは数年後。その冊子を大家さんに届けると、彼女はびっくりしてから、とても喜んでくれました。その数日後、私の畑に何やらポット苗が数鉢置かれ、脇に小さな蓋付きの瓶が置いてあったのです。開けてみたら一筆箋に丁寧な文字で
「ヒメリュウキンカの苗です。よければ畑に植えてください」
大家さんが庭で育てている花を株分けしてくれたようです。雨や土で汚れないようにという気配りでしょうが、瓶に入った手紙をもらうなんて、まるで物語のようでした。

大家さんは花が好きで、タネから栽培して地域の直売所で売っています。その苗も何度か分けて、こんなことを教えてくれました。
「アスターはね、盆花っていうの。ちょうどお盆の頃に咲くからね」
花畑には何本もの長い畝が伸び、株間をとって苗が植えられ、倒伏防止のために格子状のネットが上から張られています。草丈が低いうちに張り、成長にともなってネットの高さを変えるのだそうです。
販売用の花だけでなく、玄関先の庭には生活を彩る花を何種類も育て、大家さんはいつも「きれいでしょう? たくさん咲いたでしょう?」と、その花たちの素敵さを語ります。去年は、私がタネをプレゼントした切り花用ヒマワリの「ロンド」が見事に咲きました。「このヒマワリたくさん咲くのね! 来年もタネをまこう」と笑う大家さんは、育てることが心底好きなのです。畑のどこかで、家族で食べる野菜も育てているはずです。
畑友のように接してくれるので忘れがちですが、大家さんは栽培のエキスパートです。自家製の余った野菜苗をもらったときは、あまりに立派なパプリカ苗にびっくりしたものです。私もピーマン類の育苗をしますが、どう育てたらこんなにがっちりした苗に育つのか、感心しきりの私に大家さんはニコニコ笑うばかり。気の毒にその苗は、私の畑に植わったことでポテンシャルを発揮できず、色づく前に実が傷んで、数個しか収穫できなかったことも笑い話です。
大家さんは農家だと思い知った出来事が、もう一つありました。数年前の冬、豪雪が降り積もり、大家さんのビニールハウスを押しつぶしてしまったことがありました。そのあとしばらくして会ったとき、「大丈夫でした?」と聞いた私に、大家さんはいつもの柔和な目を見せず、厳しい声できっぱり言ったのです。
「大丈夫じゃない」
私はそのときのことが忘れられません。ビニールハウスがダメになることが農家にとってどれほど痛手なのか、深く考えていませんでした。家庭菜園でビニールトンネルが雪でつぶれたのとは、ことの重大さがまるで違うのに。のんきに「大丈夫でした?」なんて聞いてしまった自分を、今もひどく恥じています。

農園の契約更新は毎年2月。まだ寒いので、あたたかく畑仕事をしてほしくて、昨年はベストを編んでプレゼントしました。それからふた月ほど経った春、大家さんがお返しと白い手編みのレースをくれたのです。
「目が悪くて、以前のようにうまく編めなくなっちゃった。でも編むのは好きなのよ」
編み目を見れば、作り手の丁寧さがよくわかります。この丁寧さで大家さんは、農家の仕事も家庭生活もやってきたのだなと感じ入りました。
大家さんは、お金をかせぐために田や畑の仕事をしながら、子どもを産み育て、ごはんをつくり、掃除や洗濯をして、家族で食べる野菜を育て、季節ごとに保存食を仕込み、春夏秋冬毎日毎日そうやって働いてきたのでしょう。それだけでも大変なのに、家族のために編み物をしたり、暮らしを彩る庭も作ったり、季節を知らせる花を眺めて微笑むゆとりもきちんとある。「畑、楽しんでる?」と私に聞いてくれるのは、大家さん自身が暮らしを楽しんでいるからに違いありません。そして日本には、私の大家さんのよう生きてきた昔ながらの農家の女性が、きっとたくさんいるのでしょうね。すごいなぁと思うけれど、本人たちにはいたって普通で、「何がすごいの?」と首をかしげるくらい、自然にできているのだと思うのです。
美しいレースをいただいた帰り際、大家さんは私を畑にまねいて花を摘んでくれました。販売用に育てているキンセンカと美女ナデシコ。適当に選べばいいものを、活けてからも咲くようにと蕾の多い株や、色合いも考えながら切ってくれました。私は大家さんから野菜の育て方は教わっていません。でも、プロの技より、農ある暮らしのしみじみとした楽しさを教えられていることが、ありがたいのです。畑を借りたのが大家さんのような農家さんでよかった。花を摘む少し曲がった小さな背中を見ながら、いつまでも元気でと願わずにいられません。

(2025年12月25日。次回は3月1日に第12回、最終回を掲載します)
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